柏岡のルーツを探る旅

2001年6月12日〜15日にかけて、「柏岡」という苗字のルーツを探しに大阪へ行ってきました。家系図とその時の日記を、ここにまとめてみます。

家系図はPDFファイルにしました。
インターネット&大阪で集めた資料と、出会った人から聞いた話をまとめたものです。ぜひ、プリントアウトして見てくださいませ。

下の文章は自分の日記より引用です。

柏岡のルーツを探る旅
(2001年6月12日〜15日)

2001/6/12(火)

朝から調査に向かった。
インターネットで見つけた資料を元に探索開始。
柏岡伝七という人が住んでいたと記載されてる資料に住所が載っていたので、まずは車でウロウロ。
一方通行ばかりの道をグルグルしてると、資料に載っていた八幡神社を発見。その周辺の表札を注意して見てみた。が、柏岡の名前は発見できず。
そうしてるうちに、老人会館という建物を発見した。年寄りなら知ってる人いるだろうと思い、入ってみた。受付の人に聞いてみると、近くに地区の会長さんがいるとの事。その家に連れてってもらった。
奥から会長さんが出てきたので、事情を説明。
すると、この近くに柏岡が住んでたとの事。「もう少し神社寄りに行って誰かに聞いてみれば」と。
近辺を散策していると掃除をしているおばさん発見。
柏岡って家がこの近くにあるか尋ねると、「その角曲がった所に柏岡さんの親戚の“Yさん”が住んでるよ」との有力情報ゲット。早速訪問した。
ピンポンしてインターフォン越しに「柏岡です」と自己紹介すると、中からおばあさんが出てきた。
「どうぞどうぞ」と家の中に通され、玄関口にいたオジサンに挨拶。
「柏岡」って名前を言ったら急に表情が明るくなり、応接間に通された。

色々話を聞いた。
この町の歴史や、昔この周辺の土地のほとんどが柏岡の土地だった事や、Yさんと柏岡の関係や、隣町に柏岡が住んでるらしい事など、色々教えてくれた。
お礼を言い「また来ます」とその家を後にした。

隣町に調査に行く事にした。
電車で2駅分ぐらいの距離。教えてもらった住所の近くに車を止めて調査開始。まずは近所のお寺へ。
お寺で柏岡さんが近所にいると聞いてきたと話すと、すぐそばにあることが判明。早速現地へ。
そこは「今市」という商店街で、そのどこかに柏岡って家があるらしい。
角を曲がってパッと見たら「柏岡」って表札を発見!感動!
ピンポンしてみたが誰も出てこない。お昼時だったので、とりあえず喫茶店へ入った。
注文をした後、少し経ってからお店の人に柏岡の事を聞いてみた。
すると、そこの家の娘さんが向かいの耳鼻科にお嫁に行って先生をしている、との情報を入手した。
その病院はすぐ分かり、中へ入ってみた。
中から看護婦さんが出てきたので、先生を呼んでもらおうと自己紹介した、が、今日は午後から休みとの事。
名刺を置いてそこを後にした。

今日の調査はここで終了。続きはまた明日。


2001/6/13(水)

今日は昼過ぎに起きて、昨日不在だった人(Hさん)を訪ねた。
Hさんは耳鼻科の先生で柏岡からお嫁に行った人。なので姓は違う。
病院の終わる時間まで喫茶店で暇をつぶして、18時過ぎに訪問。
昨日は不在だったので名刺だけ置いておいた。なので、今日はすんなり解ってくれた様子。
その病院の待合室のソファーで色々話を聞いた。
その人のひいお祖父さんと俺のお祖父さんのお祖父さんが兄弟のではないかとの結論に。
ひとしきり話した後、近くにもう一件柏岡があると教えてもらい、お礼を言った後、そこへ向かった。

その柏岡さんは、なんと柏岡の家系図を持っていた。
最近作った物だがかなりいろいろな事が詳しく載っていた。

この二日間をまとめると・・・
俺、Yさん、Hさん、最後に会った柏岡さんは、元を辿ると「柏岡善右衛門」という人の子供の子孫のようだ。
Yさんは「善右衛門」の娘“リウ”の孫。
Hさんは「善右衛門」の息子“亀三郎”のひ孫。
柏岡さんは「善右衛門」の息子“善次郎”のひ孫。
俺は「善右衛門」の息子“豊三郎”のやしゃご(これは証拠が無いので予想)
という所まで判明した。

「なぜ柏岡姓が日本に少ないのか」という所は、後ほど。


2001/6/14(木)

調査3日目。
昨日の時点で大体調べはついた。
今日は初日に出会った柏岡の親戚にあたる人に再び訪問。
昨日の調査結果を報告した。
お昼にお寿司を御馳走になりながらひとしきり話した。
その後、柏岡の本家のお墓があるお寺に行きお墓を確認。うちと同じ家紋だった。

今、京都の寂れた旅館にいる。ちょっとカビ臭い。湯豆腐屋兼旅館な所。南禅寺のすぐ横。
夕食終わって、部屋で漬け物つまみにビール飲んでる所。
近くにホタルがいるらしいので、飲み終わったら観に行こう。


2001/6/15(金)

朝食を済ませてすぐに帰路についた。
特に予定もなかったので、のんびり国道1号線で東京へ向かっていた。
名古屋に寄って“山本屋の味噌煮込みうどん”を食べ、途中から高速に乗り、浜松で降りて温泉に入り“八百徳のうなぎ茶漬け”を食べ、無事町田に到着。

<なぜ柏岡姓は日本に少ないのか・調査報告>
元々「柏岡」は「柏原(かしはら)」という名字だった。
1332年ごろ「柏岡」に改姓して「摂津国東成郡般若寺村(現在:大阪市旭区清水の辺り)」に移住した。
(多分この村からあまり出て行かなかったのだと思う)
それから約500年後の1837年、大塩平八郎の乱が起きる。
この時、大塩の門下生だった柏岡伝七・柏岡源右衛門がこの乱に参加。
で、捕まって処刑されてしまう。その息子達も島流しにされたり。
土地を奪われたりして柏岡は一度潰れかけたらしい。
そこで、柏岡伝七の弟の柏岡善兵衛が資産を買い戻したり色々したおかげで、柏岡姓が残り復活した(らしい)。
なので、今残ってる柏岡はその「柏岡善兵衛」の子孫がほとんどの様。
この旅で出会った人は全て、「柏岡善兵衛」の息子の「柏岡善右衛門」の子孫だった。
(家系図にしないと分かりづらい・・・)
ちなみに、柏岡の本家は「柏岡善右衛門」の息子「柏岡豊三郎」の筋らしい。この人たちは大正12年頃、家とか売り払ってみんなで北海道に移住してしまった。
で、まだちゃんと北海道の札幌辺りにいるみたい。
連絡先をYさんに聞いてきた。

そゆわけで、次回の旅行は北海道。